平家物語の系図:二十四人でたどる、平家が滅びるまでの五年
平家物語から二十四人を一枚の図に。清盛の一門、それを五年で滅ぼした源氏、両方に宣旨を出しつづけた法皇、そして壇ノ浦にただ一人残された人。
原典: 覚一本系の平家物語

平家物語は系図の話ではなく、系図が崩れる話です。武士でありながら太政大臣まで昇り、娘を天皇に入れ、孫を帝にした一門が、五年で海に沈む。図の上のほうに固まっているのが平家、右に散っているのが源氏、そのあいだに一人だけ、どちらにも宣旨を出しつづけた人がいます。線に書かれているのは「父」や「子」よりも、「幽閉した」「追われた」「討った」です。
この図でわかること
図の読み方
カードが一人、カードのあいだの線が関係で、どれも押せます。色の帯は場所と立場を分けています——平家、源氏、六波羅、鎌倉、九郎判官、壇ノ浦、北条、法皇。先に形を見てください。平家は親子と兄弟で固まった一つの家、源氏は兄弟と従兄弟が離れて並ぶ一族です。そしてその差が、そのまま勝敗になります。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
清盛の一門:頂点まで昇った家
清盛は物語の冒頭で名指しされる「驕れる人」で、熱病で死ぬまで誰にも止められませんでした。娘の徳子は帝の母となり、その子安徳天皇は二歳で位に即きます。つまり平家は、武力ではなく婚姻で天皇家に入り込んだ一門です。図の中央で線がいちばん密になっているのは、そこです。 止めていたのは長男の重盛でした。父と法皇のあいだに立ちつづけた人で、彼が生きているあいだ平家は踏みとどまり、彼が先に死んでから崩れはじめます。
清盛から帝まで、二つの線で
平家






源氏:兄が戦わず、弟が戦い、そのあと弟が消される
頼朝は挙兵してから一度も自分で戦場に立たず、鎌倉から人を動かして平家を滅ぼし、そのあと弟たちも滅ぼしました。義経は一ノ谷の坂を駆け下り、屋島を突き、壇ノ浦で平家を沈めた人ですが、戦がうまいこと以外は何もうまくいかず、勝った翌年から兄に追われます。範頼は地味に本隊を率いて西へ進み、それでも最後は疑われて殺されます。 従兄弟の義仲は先に都へ入って平家を追い出し、都のやり方が分からずに嫌われ、法皇の御所を攻め、半年で同じ源氏に討たれました。図でいちばん短い線の一つが、義経から義仲への「宇治川で討った」です。源氏は平家より先に、源氏と戦っています。
鎌倉殿と九郎判官

頼朝
鎌倉殿

義経
九郎判官
木曾と九郎判官のまわり




法皇:誰の側にもつかずに残った人
後白河法皇は五代の天皇の上に立ちつづけ、清盛に幽閉され、義仲に御所を焼かれ、頼朝に追討の宣旨を出し、最後まで誰の側にもつかずに残りました。日本一の大天狗と呼ばれたのはこの人です。 図でこの人から出ている線を数えてみてください。平家、源氏、木曾、鎌倉——全部につながっています。この物語で最後まで立っていたのは、一度も戦わなかった人でした。
一ノ谷の渚:十六歳と、笛
一ノ谷と屋島




屋島の扇:物語でいちばん静かな場面
那須与一は、沖に浮かんだ舟の扇を、二町ほど離れた馬上から射抜きました。当てなければ味方が終わると分かっている一射で、当たったあと敵味方の両方が声を上げます。戦の場面の中に、こういう一分間が挟まっている。それがこの物語が七百年読まれてきた理由です。
壇ノ浦:海の底の都
時子は八歳の孫を抱き、海の底にも都はございますと言って入水しました。知盛は「見るべきほどのことは見つ」と言い、碇を担いで海に入ります。三種の神器のうち、剣は上がりませんでした。 宗盛は入水しきれずに引き上げられ、鎌倉へ送られて斬られます。重衡は南都を焼いて東大寺の大仏を失わせた人で、一ノ谷で生け捕られ、最後は奈良に渡されて斬られました。負け方がそのまま評価になる物語で、知盛と宗盛の差はここです。
壇ノ浦のあと
健在
徳子 平
後白河法皇
頼朝 源
義経 源
政子 北条
時政 北条
巴御前
直実 熊谷
与一 那須
祇王
仏御前
弁慶 武蔵坊
故人
清盛 平
重盛 平
時子 平
安徳天皇
知盛 平
維盛 平
敦盛 平
重衡 平
宗盛 平
義仲 源
俊寛
ただ一人残された人
徳子は壇ノ浦で入水して引き上げられ、ただ一人生き残って大原の寂光院で尼になりました。出家してのちは建礼門院と呼ばれます——同じ一人で、名が変わっただけです。 物語の最後は戦ではなく、この人のところへ法皇が訪ねてくる場面で終わります。滅ぼした側の頂点が、滅びた側の生き残りに会いに行く。図の「大原で法皇を迎えた」という線が、平家物語の最終巻そのものです。
見張り役が、全部を持っていく
北条時政は伊豆で頼朝を見張る役でしたが、娘の政子が父に無断で流人と夫婦になってしまい、そのまま舅として挙兵に加わりました。平家を倒したあと、源氏から実権を取り上げるのはこの家です。 平家は婚姻で天皇家に入り、北条は婚姻で将軍家に入りました。図の上で同じ形の線が二度出てくる——これが平家物語の外にはみ出していく部分です。
戦がはじまる前に置かれた二つの話
祇王は清盛に寵愛された白拍子でしたが、仏御前が現れると屋敷を追われ、しかも新しい寵姫の前で舞えと呼び戻されます。仏御前は自分がしたことの意味を分かってしまい、寵を受けたまま屋敷を出て、祇王のいる庵に尼になって現れる。 俊寛は鹿ヶ谷で平家を倒す相談をしていて露見し、鬼界ヶ島に流されました。赦免の舟が来たとき、三人のうち彼だけ名が読み上げられませんでした。どちらも戦の前の話で、どちらも平家がどういう家かを先に見せるために置かれています。
語り本と読み本
語り本(覚一本)
琵琶法師が語るための本で、十二巻に灌頂巻が付きます。建礼門院が大原で法皇に会う最後の巻はここにしかなく、この図の終わり方もそれに合わせています。
読み本(延慶本など)
読むための系統は巻数も挿話も違い、語り本にない話が入り、語り本にある話が落ちます。つまり「平家物語には何が書いてあるか」という問いの答えは本によって変わります。この図は語り本系の一本に沿って描いた、と最初に言っておくべき理由がそれです。
図にいない人たち
以仁王と頼政、木曾の四天王、梶原景時、静御前、そして名前が一度だけ出てくる数十人の武者はここにいません。二十四枚は、物語が何度も戻ってくる人で選んでいます——清盛の家、頼朝の兄弟、法皇、一ノ谷と屋島、壇ノ浦。百枚の図は誰も読みません。
よくある質問
- 平家物語とはどんな作品ですか。
- 平氏の栄華と滅亡を語る軍記物語で、琵琶法師が語り継ぎました。
- 平清盛とは誰ですか。
- 平氏を頂点へ導いた棟梁で、娘を天皇家に嫁がせ、孫を安徳天皇として即位させました。
- 平氏と源氏の関係は。
- どちらも天皇家から分かれた家で、同じ血筋の遠い親戚どうしが争いました。
- 安徳天皇は誰の孫ですか。
- 平清盛の孫にあたり、壇ノ浦で幼くして入水しました。
- 源義経と源頼朝の関係は。
- 異母兄弟です。義経は兄に追われて奥州で死にました。
- 壇ノ浦の戦いはいつですか。
- 1185年。平氏はここで滅び、三種の神器の一つが失われました。
- 建礼門院とは誰ですか。
- 清盛の娘徳子で、安徳天皇の母。壇ノ浦から生き残り、大原で出家しました。
- 「祇園精舎の鐘の声」とは。
- 冒頭の一節で、諸行無常という物語全体の主題を告げています。
- 平家物語は史実ですか。
- 骨組みは史実ですが、語り物として脚色が重ねられています。
- 平家の子孫は残っていますか。
- 各地に落人伝説があり、平姓を名乗る家も多くありますが、系図の多くは後世のものです。